2006年 06月 12日
母の手術①
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母に脳動脈瘤 (詳しくはこちらを参照) は症候性*のもの。出血率が高い。
そこで開頭術で脳動脈瘤を除去(クリッピング)することが決定した。
母は治療に対して積極的だった。手術することも簡単に受け入れた。病気に対しては
「今まで頑張ってきたからその跳ね返りがきたんだよ。」と一言で片付けてしまった。その気持の持ちようには私も驚いた。
「もっと病人らしくしろよ。」 そう思ったが、同時に病床での自分の姿を思い出していた。見舞いに来てくれた人たちに私も同じ事を言われた。
突然苦境に立たされた時、、「如何に行動するか」がその後の人生を決めてしまう。こんな時の気持ちの持ち方を知らぬ間に母に教わっていたのかもしれない。そう実感した。病に怖気づいて尻込みしていたら、治るものも治らない。母は、術前、「まな板の上の鯉だもの」と笑っていたと聞いた。
しかし、全ての人がこんな態度で病に向かえるわけではない。私の叔母は胃摘出の手術を受けた際、「なんで私だけ・・・。」そう繰り返して泣いていた。術後も鬱状態から抜け出すのに時間がかかった。
この「なんで私だけ」と思う気持ちは、皆が持っているのではないか。そう私は思う。
突然、命あるいはその後の生活に支障を来たすような病の宣告を受けた時、その事実の解釈に困るのが人間だと思う。
ごく普通に生活していると、自分が病になった時のことなんか想像できない。だから、治療後、ある程度でも日常生活が制限されると、「なんで他ならぬ私がこんな目に逢うんだ」と病を受け入れない。それが本来の患者の姿だと私は思う。始めから、「ああ、オレ病気か。治らない。けど、いいや。」と思う人なんか普通はいない。
だから、病を受け入れて積極的に治療に参加することは簡単な事ではない。しかし、こんな時、自分の現在の姿に何らかの「意味」を見出す事ができたら、前を向いて闘病に専念する事ができるのではないか。とりわけそれが自分にとってかけがえの無い、大切なものに対してなら尚更。そう私は思う。
母の場合にはそれが「子供」だった。姉貴が結婚し、厄介な息子は将来が見えてきた。後は妹が社会にでたらいい。取り敢えずは一段落した。それで出てきた言葉が「今まで頑張ってきたから・・・」なのだと思う。
私の場合にはそれが「将来」だった。「医者になる前に患者になってしまったよ。ハハ・・・。」そんな冗談を人前では言いながら、読めない「字」を読もうとしていた。
そんな、前向きな母ではあったが、術後、受け入れたくないような事実が待っていた。もう一度、手術。しかも、医師は事前に2回手術する事が必要であった事を知っておきながら、伝えていなかった。さすがの母も言葉数が少なくなっていった。
*症候性動脈瘤; 未破裂動脈瘤のうち、脳動脈瘤の増大によると考えられる神経症状を伴うもの。これに対して脳ドックなどのスクリーニングにより発見された脳動脈瘤などは、無症候性動脈瘤。
そこで開頭術で脳動脈瘤を除去(クリッピング)することが決定した。
母は治療に対して積極的だった。手術することも簡単に受け入れた。病気に対しては
「今まで頑張ってきたからその跳ね返りがきたんだよ。」と一言で片付けてしまった。その気持の持ちようには私も驚いた。
「もっと病人らしくしろよ。」 そう思ったが、同時に病床での自分の姿を思い出していた。見舞いに来てくれた人たちに私も同じ事を言われた。
突然苦境に立たされた時、、「如何に行動するか」がその後の人生を決めてしまう。こんな時の気持ちの持ち方を知らぬ間に母に教わっていたのかもしれない。そう実感した。病に怖気づいて尻込みしていたら、治るものも治らない。母は、術前、「まな板の上の鯉だもの」と笑っていたと聞いた。
しかし、全ての人がこんな態度で病に向かえるわけではない。私の叔母は胃摘出の手術を受けた際、「なんで私だけ・・・。」そう繰り返して泣いていた。術後も鬱状態から抜け出すのに時間がかかった。
この「なんで私だけ」と思う気持ちは、皆が持っているのではないか。そう私は思う。
突然、命あるいはその後の生活に支障を来たすような病の宣告を受けた時、その事実の解釈に困るのが人間だと思う。
ごく普通に生活していると、自分が病になった時のことなんか想像できない。だから、治療後、ある程度でも日常生活が制限されると、「なんで他ならぬ私がこんな目に逢うんだ」と病を受け入れない。それが本来の患者の姿だと私は思う。始めから、「ああ、オレ病気か。治らない。けど、いいや。」と思う人なんか普通はいない。
だから、病を受け入れて積極的に治療に参加することは簡単な事ではない。しかし、こんな時、自分の現在の姿に何らかの「意味」を見出す事ができたら、前を向いて闘病に専念する事ができるのではないか。とりわけそれが自分にとってかけがえの無い、大切なものに対してなら尚更。そう私は思う。
母の場合にはそれが「子供」だった。姉貴が結婚し、厄介な息子は将来が見えてきた。後は妹が社会にでたらいい。取り敢えずは一段落した。それで出てきた言葉が「今まで頑張ってきたから・・・」なのだと思う。
私の場合にはそれが「将来」だった。「医者になる前に患者になってしまったよ。ハハ・・・。」そんな冗談を人前では言いながら、読めない「字」を読もうとしていた。
そんな、前向きな母ではあったが、術後、受け入れたくないような事実が待っていた。もう一度、手術。しかも、医師は事前に2回手術する事が必要であった事を知っておきながら、伝えていなかった。さすがの母も言葉数が少なくなっていった。
*症候性動脈瘤; 未破裂動脈瘤のうち、脳動脈瘤の増大によると考えられる神経症状を伴うもの。これに対して脳ドックなどのスクリーニングにより発見された脳動脈瘤などは、無症候性動脈瘤。
by heba_nonbo
| 2006-06-12 14:18
| 家族の事