2006年 06月 02日
失った文字を取り戻す
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脳出血発症時から見られた「失読症」は、術後も依然として見られた。ただ、この頃になると「文字」を言語化することが、ある程度出来るようになっていた。確か、母音は読めたはず。難しいのは「ナ行」。「ぬ」を読めなかったのを覚えている。読めないといっても「ネ」と読んだり、「惜しい読み」はできるようになっていた。
医師からは、言語聴覚士(ST;Speech-Language-Hearing Therapist)のもとでリハビリを行う事で、日常生活に支障の無い程度までの回復が望める事が伝えられた。併せて、それまでは2~3年かかるかもしれない事も告げられた。
当時医学部に入るという目標があった私は、この事に対して前向きに捉えることができた。「字が読めない」という事実をそのまま捉え、再び受験をするためにはどうする事が最善なのか。その事を常に自問していたような気がする。
STに頼ってのリハビリは気が進まなかった。じれったく感じていた。その上、STは都内でも数少なく、遠くまでリハビリに通わなければならないことも聞いていた。そこで「自分で勝手に治す」と決意した。
当面の目標は「文字」を全て言語化することだった。脳に損傷があり、神経回路が破壊されている。修復される事は無い。だったらどうしたら読めるようになるか。私の出した結論は単純だった。「文字を全て記憶すればいい」。それを話している言葉と対応させることで「読む」という行為を創り出せるかもしれない。文字が他の「絵」とは別物である事、文字どうしで「ある文字が他の文字と異なる」事は認識できていたからである。
その為にはどうしたらよいか。さらに自問した上で出した結論は「読みなれた本を読んでみる事」。読みなれた本なら、話の筋が解る。そしたら、字がある程度読めたら、何が書いてあるか検討がつく。そうして、自分の頭の中で文を構成し、文字と照らし合わせる。
こんな事を試行錯誤、入院中行っていた。いつの間にか、ベッドの傍らの棚は本棚に変わっていた。また、当時、雑誌「Newton」を読むのが私の月一回の楽しみだった。それで、母に頼んで買ってみると、他の本より内容が解る。これは、絵が多いお蔭。本棚にはさらに「Newton」が加わった。
このような私の試みが効果あったのかどうかは全く解らない。しかし、こうしている内に医者も驚くほど「字」が読めるようになり、退院までにはごくゆっくりではあるが、「文」が読めるようになっていた。
効果の有無に関わらず、文字が読めないという困った状況下であっても、それを治そうと積極的になれた事は幸いであった。全ての目的は「医師になるため」。この目標が無ければ私は現実から目をそらし、治るものも治らないことになっていただろう。
医師からは、言語聴覚士(ST;Speech-Language-Hearing Therapist)のもとでリハビリを行う事で、日常生活に支障の無い程度までの回復が望める事が伝えられた。併せて、それまでは2~3年かかるかもしれない事も告げられた。
当時医学部に入るという目標があった私は、この事に対して前向きに捉えることができた。「字が読めない」という事実をそのまま捉え、再び受験をするためにはどうする事が最善なのか。その事を常に自問していたような気がする。
STに頼ってのリハビリは気が進まなかった。じれったく感じていた。その上、STは都内でも数少なく、遠くまでリハビリに通わなければならないことも聞いていた。そこで「自分で勝手に治す」と決意した。
当面の目標は「文字」を全て言語化することだった。脳に損傷があり、神経回路が破壊されている。修復される事は無い。だったらどうしたら読めるようになるか。私の出した結論は単純だった。「文字を全て記憶すればいい」。それを話している言葉と対応させることで「読む」という行為を創り出せるかもしれない。文字が他の「絵」とは別物である事、文字どうしで「ある文字が他の文字と異なる」事は認識できていたからである。
その為にはどうしたらよいか。さらに自問した上で出した結論は「読みなれた本を読んでみる事」。読みなれた本なら、話の筋が解る。そしたら、字がある程度読めたら、何が書いてあるか検討がつく。そうして、自分の頭の中で文を構成し、文字と照らし合わせる。
こんな事を試行錯誤、入院中行っていた。いつの間にか、ベッドの傍らの棚は本棚に変わっていた。また、当時、雑誌「Newton」を読むのが私の月一回の楽しみだった。それで、母に頼んで買ってみると、他の本より内容が解る。これは、絵が多いお蔭。本棚にはさらに「Newton」が加わった。
このような私の試みが効果あったのかどうかは全く解らない。しかし、こうしている内に医者も驚くほど「字」が読めるようになり、退院までにはごくゆっくりではあるが、「文」が読めるようになっていた。
効果の有無に関わらず、文字が読めないという困った状況下であっても、それを治そうと積極的になれた事は幸いであった。全ての目的は「医師になるため」。この目標が無ければ私は現実から目をそらし、治るものも治らないことになっていただろう。
by heba_nonbo
| 2006-06-02 16:48
| 私の闘病記